top of page
  • 執筆者の写真原石 匠応

神仏の働きについて

更新日:8月29日

 私が依頼を受けた際に様々な神仏をお呼びするのですが、重要な事はその神仏の特徴と言いますか、持っている力を検証して、確実に願いを引き受けて頂く事です。受け継がれている宗教的作法などは殆どの場合、何かが間違って伝えられている事が多く、これが正しいと言う事は存在しますが神仏を感じ取る事が出来ない方が行っても本当に正しいのか判断するのは難しいでしょう。そうして連綿と受け継がれた経緯があります。正しいと教えを受けたものでも実際に呼んでみると来ないものは来ませんし、神仏の持つ特徴が掴めていないと代償が大きい事もあります。


 真言はベースになるものですがインド発祥の真言が中国を経由して日本にもたらされるまでの間に大部分が変化してしまっています。真言はベースですが肝心な事は印を結ぶ事です。印に関しては秘密を保って来ていますが、その印でさえ使用しても来ない事が普通にありますし、何しろ種類や決まりが多すぎます。


 私の場合は、真言と印がマッチして神仏をお呼びする事が出来た時、身体の左から冷たいものが入って来ます。完全に全身に入るまで我慢すると変化が現れます。背後に法輪が出来る事もありますし、神仏によっては背後に炎が灯る事もあります。このコツさえ掴んでしまえば、後は真言と正しい印はどれなのかと言う事を探す作業を繰り返す事で様々な種類の仏と一体になる事が出来る様になりました。普通の呪詛師が死神を呼ぶ方法を掴むのと同じ感覚かも知れませんが、重要なのは、それが死神なのか霊なのか神仏なのかを判断出来る事です。感覚的なものもあるとは思いますが、それが判断出来ないのであれば危険なだけなので触れる事はしない方が良いでしょう。死神は観て分かりますが独特な気配も伝わって来ます。霊も視認して分かりますが気配でも簡単に察知出来ます。難しいのは神仏を呼んで願いを受けて頂く方法です。神仏は気配が全くありませんので非常に特殊です。ですが私の身体に入って頂く時の感覚は完全に分かりますので一体になる事が重要です。


 死神も霊も気配と視認して分かります。因みに悪魔も存在しますが悪魔は視認出来ると言うより象徴的な物、例えば羊の骸骨などをわざわざ見せられる感覚です。悪魔も神仏同様に本当に気配は感じ取れませんが確実に存在します。死神等の霊的なものとは数段次元の違うものなのだろう事は感じ取れます。


 神仏と一体になる事で私の願いは私が願うだけで当然伝わります。但し私の中で一定のルールを守っています。それは人の幸せのため以外の願いはしないと言う事です。もしかするとですが、今感じ取れている神仏の感覚が突然感じ取れなくなるのを私は一番恐れているのです。私利私欲でもいけません。その願いの判断は私自身の判断ですが、少しでも違和感を覚えると願いの内容も変わって行きます。私は神仏のお力を敬っています。人は見たり手に取って物を感じ取る事が出来ます。その感覚が失われるのを恐れているのと同じ感覚でしょう。なので私の中ではルールが存在しているのです。勿論、神仏に入って頂いている間は身体の芯から痛寒く感じますが次元の違う者が入るのですから仕方がありません。ですが変化は即効性がありますし確実です。普通の方は中々感じられないかも知れませんが私には幸い感じ取れます。


 神仏を感じ取るために真言と印を幾度となく繰り返し探って得た私の神仏の感覚ですが、お伝えしても感じ取れないと意味がありませんし、かなり身体が冷えた感じの痛みを伴いますので危険と言えば危険かも知れません。様々な神仏の働きの違いも実際に願って得て来たものです。それぞれに得意な分野が分かれています。同じ願いをしても同じ結果をもたらすのですが時間的な差異と強弱があるのです。なので適切な神仏に適切な願いをするのです。


 神仏の働きは本当に不思議です。線路が分岐で変わった様な感じで変化が起こります。観る世界も感覚も、変化が起こると全く別のものに見えます。本当に有難い話です。


最新記事

すべて表示
bottom of page